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2021年11月3日
業界の常識を変えた先代の想い~石渡商店の誕生~(2)

祖父 石渡正男(初代)と石渡商店のフカヒレが香港で認められてから10年が過ぎた昭和46年(1971年)には、ドルショックの影響で輸出が中々難しい時代に入りました。
そこで正男は、日本国内での販売方法を模索し始めます。

昭和50年代までは、フカヒレは中華料理の食材というのが業界の共通認識で、大きいサイズのものばかりが重宝されていました。
しかしチャレンジ精神旺盛な正男はここでも常識を疑います。
地元のお寿司屋さんやフレンチシェフなどとフカヒレをお店に持ち込み、食材として使えないかと頼み込んでいたそうです。当時は、フカヒレを料理に使うお寿司屋さんやフランス料理店はなく、なかなか理解されませんでしたがシェフの声を聞きまわりアイディアを収集して回りました。
さらに、当時はまだ珍しかった通信販売にも取り組み、フカヒレを全国のお客様にお届けする事業を開始します。この正男の判断が、今日の石渡商店の重要な販路を築いたのでした。

このころから2代目の父 石渡正師(まさし)が、ふかひれ生産工場での製造を活発化させます。
姿煮やふかひれスープ生産に使用するガラスープやエキス類、地元の牡蠣を使ったオイスターエキスなどを一から作り、中華のシェフから伝授してもらった秘伝のレシピを工場で再現。一般消費者向けのフカヒレスープや姿煮などを常温で持ち運べるよう、レトルト加工の技術を得てあらたな加工技術を生み出しました。
味づくり、ものづくりが得意な2代目 正師は、化学調味料も保存料も使わずに、食品として安全でおいしい石渡商店の商品づくりの基本を作り上げました。

正師は、フカヒレの繊維の太さや、食感、ゼラチンの量を細かく分析し、新しい活路を探究し続けました。
フカヒレは和食世界にも浸透していき、茶碗蒸しの食材として、天皇即位を祝う宮中晩餐会に使用されたほどです。
また、業務用の中華食材だったフカヒレを家庭用スープにして販売することで、一般生活者にも急速に普及していきました。

新しい地元料理を生み出そうと「気仙沼本店あさひ鮨」の先代社長と正師が、二人三脚で試行錯誤して開発したのが『フカヒレ寿司』です。
常識と既成概念を打ち破り、今なお愛され続ける気仙沼名物を作り上げました。

こうして正師は、フカヒレを一般家庭の食卓や和食の世界にまで広げていき、業界の常識を変えていったのです。

「無いものは作ればいい…」

と調味料から機械の部品まで様々な研究をしていたのを私は子供ながら感じていました。

パイオニアである初代 正男と、イノベーターの2代目 正師。
2人の研究熱心な姿勢や開拓精神は、今も石渡商店に脈々と受け継がれています。