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2021年10月20日
祖父から受け継がれた大切なこと~石渡商店の誕生~(1)

「なんとか商品化できないものだろうか」

大手食品メーカーの研究員だった祖父 石渡正男(初代)は、
フカヒレの小さい部位が廃棄される光景を見て心が動きました。
海の恵みを無駄にしないという石渡商店の原点はここにあります。

昭和32年に気仙沼魚市場は東洋一の市場としてリニューアルし、多くのサメが水揚げされていました。
当時、小さい部位のひれは廃棄されるもの。
しかし正男にとっては、それが宝の山のように映ったのでしょう。
神奈川県川崎市から、縁もゆかりもない気仙沼へと移住を決意します。
裸一貫からのスタートです、大胆ですよね。
信念を貫く正男の熱意に、家族は反対しなかったとか。
こうして、昭和32年(1957年)に、気仙沼で石渡商店を創業しました。

毎日のように市場に通い、小さなふかひれを拾い集める正男。

≪三輪ミゼットで気仙沼市場に向かう≫

その熱心さが周囲に伝わり、移住から間もなく気仙沼に溶け込んでいき、交友関係を広めて行きました。大胆な行動や実行力に周りの人から当時は煙たがられたり、面白がられたこともあったそうです。
商いをする際に同じ苗字は混乱を招くため、気仙沼では『屋号』で名乗る制度があります。
当時は新参者が簡単に屋号を名乗れませんでしたが、正男は仕事仲間に認められたことで『竹印』と言う屋号を頂きました。
この『竹印』は今も引き継がれており市場で購入した魚にはこの札を付けて『自分の購入した魚』の印をして使用されています。

≪今でも続く屋号制度≫

食品メーカーの研究員として培った知識とノウハウで、従来の常識にとらわれない製法や技術を新たに考案していきます。
ここで生まれたのが、今では世界共通の業界用語となった製法「スムキ(素剥)」です。
スムキによって、フカヒレは新鮮なうちに処理され、保存が利くことで流通しやすくなり、料理人が格段に扱いやすい食材へと大きな変化を遂げました。
(スムキ加工は石渡商店が製法特許を取得し世界で始めてふかひれの製造方法として確立し、今現在もその製法は大きく変わっておりません。)

≪スムキ加工は今でも続く製造法≫

昭和35年(1960年)には一人香港へと出張し、独自のルートで現地のバイヤーと交流をはかりました。
正男の情熱とフカヒレの質の高さが香港人バイヤーに認められ、気仙沼から香港に輸出を開始しました。
フカヒレ料理の本場香港で採用されたことは世界で認められたという証。当時海外へ行くことはそんなに簡単な事ではなかった事やメールなどが無いことを考えるとその熱意や行動力には頭が上がりません。

≪香港での取引~バイヤーと共に≫

創業から20年近くの月日が流れたこのころ、石渡商店は当時の通産省業省から「輸出貢献事業者」として政府から14年間連続で表彰を頂くまでになっていました。

正男の挑戦はさらに続きます。(つづく)